1994年(平成6年)4月26日、名古屋空港(現:名古屋飛行場、通称:小牧空港)で、中華航空140便墜落事故が発生しました。
この事故は、日本の航空事故史上でも、日本航空123便墜落事故(死者520人)に次ぐ惨事で、乗員乗客271人中264人が死亡しました。
平成最悪の墜落事故の当時の状況と事故原因、生存者が何人いたのかをご紹介します。
名古屋空港で飛行機(中華航空)墜落!
1994年(平成6年)4月26日、名古屋空港の滑走路脇に旅客機が墜落しました。
墜落したのは、中正国際空港(現:台湾桃園国際空港)発名古屋空港(現:名古屋飛行場、通称:小牧空港)行きの中華航空140便(エアバスA300B4-622R)です。
死者は264人、国内では日航ジャンボ機墜落事故以来2番目に多い死者を出した、平成最悪の墜落事故になりました。
事故当時のニュース
墜落事故当時のニュースを2本ご紹介します。
【1994年 中華航空機 墜落炎上】
【1994年 中華航空機事故 報道2】
名古屋空港 中華航空機エアバスA300-600R型機事故 1994年4月26日 ニュースステーション 1
中華航空140便墜落事故の原因は何?
中華航空140便はなぜ墜落したのでしょうか。
事故の原因は何?調査報告書をもとに作られた解説動画と事故原因をご紹介します。
調査報告書をもとに作られた解説動画
1994年4月26日、名古屋空港(現在の名古屋飛行場)への着陸しようとしていた、中華航空(現在のチャイナエアライン)140便。着陸のやり直しを報告した直後、急上昇したのちに墜落しました。中華航空140便の墜落について、調査報告書をもとに解説されています。
【解説動画】中華航空140便墜落事故
▼チャプター
中華航空140便の出発
名古屋空港への着陸
懸命な救助活動
事故までの経緯
根本的な要因
事故を受けての勧告
墜落事故の原因は何?
中華航空140便が墜落した原因は何だったのでしょうか?
航空事故調査委員会から、たくさんの要因が重なって事故が起きたという報告書が提出されているようですが、素人が読んでもその内容は理解できません。
たくさんの要因のなかでも、以下の原因が一番大きかったのではないかと思います。
着陸に向けて、パイロットが機首を下げる方向に操縦かんを動かし、懸命に機首を下げようとしていたのに反して、着陸のやり直しの設定に入っていた自動操縦装置(オートマチィックフライトシステム)が機首上げの方向に反発し続けたため失速につながったとみられています。
これは、乗員が自動操縦装置(オートマチィックフライトシステム)をよく理解していなかったことになります。
素人考えですが、たくさんの要因の中でも、自動操縦モードに関する知識が足りなかったことと、機長と副操縦士の意思疎通が足りなかったことが大きな原因になってしまったのではないでしょうか。
飛行機(中華航空)墜落事故の生存者は何人?
墜落後の救助活動
墜落から1分以内に、管制官が消防へ連絡し、救助活動が開始され、墜落から1時間半ほどで火災は鎮火しました。
名古屋空港には航空自衛隊小牧基地が隣接しており、当時基地に居た自衛官が救助活動・事故処理などに関わっています。
乗員乗客271人中16人が病院へ搬送されましたが、その内6人は病院へ着く前に死亡しました。
当初生存していた10人は、フィリピン人1人、台湾人2人、日本人7人でした。その後、3人が死亡しました。
生存者7人は全員が機体前方部に着席していたそうです。
救助に当たった医師は、2人の子供が助かったことについて驚いたと話しています。
収容された遺体は小牧基地の格納庫に搬送されて、遺体の検分と遺族による確認が行なわれました。その後、遺体は基地内の体育館に移され、4月30日に確認作業が完了した後、遺族に引き渡されました。
なお、遺族への配慮などから格納庫と体育館でのマスコミによる直接取材は禁止されたということです。
生存者の1人の現在
1994年、名古屋空港で中華航空機が墜落し、乗員と乗客合わせて264人が亡くなった事故。2023年4月26日、この事故から29年が経ちました。当時3歳で、一命を取り留めた男性が、今の思いを語りました。 (2023年4月26日放送 メ~テレ「アップ!」より)
【中華航空機事故、生き残った3歳児の”29年間” 結婚して父親に…治療医師や救助隊員と交流・再会も】
まとめ
今回は、1994年(平成6年)4月26日に名古屋空港(現:名古屋飛行場、通称:小牧空港)で発生した、中華航空140便墜落事故の当時の状況と事故原因についてお伝えしました。
奇跡的にも、生存者が7人いました。
このような悲惨な事故があったことを忘れないようにしたいですね。
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